金融社会学の論集・テキスト(1)

 金融社会学(Sociology of Finance)という言葉を聞いても具体的なイメージがあまり湧かないかもしれない。私の見聞の範囲においても、日本の社会学における経済関連の議論は、階層や労働に関するものが主流である。金融という言葉からイメージされる貯蓄、資産形成、投資、金融機関などを対象とした社会学的研究はごく一部を除いてほとんど見受けられない。関連分野として経済社会学や産業社会学がある。一例として上原(2012)や今井(2021)などが刊行されている。しかしこれらの分野における中心的関心は雇用関係や職場のようである。金融そのものというわけではない。

 だが、雇用や職場、労働と関連をもちつつも、いくぶん距離をおいたものが金融に関する現象であろう。問いの形で私なりにいくつか挙げてみる。

  • 日本は電子決済が普及しにくいが、なぜ中国は電子決済が普及しているのか?
  • 消費者金融からの借入は「借金」として認識される一方、なぜ住宅ローンは「借金」として認識されないのか?
  • 経費として認められるものと認められないものが頻繁に変わるのはなぜか?
  • 奨学金は、なぜ近年、金融事業と評されるような運営形態になっているのか?
  • NISAやiDeCoで勧められるのは投資信託の長期保有であって、なぜデイトレードやFX、仮想通貨ではないのか?

 最初の2つは人々の金融行動や意識に関するもの、残りの3つは会計、金融セクター、投資をめぐる社会構造の変容に関わるものといえよう。このようなテーマに対応するのが金融社会学、または金融社会論という領域であると推察する。

 以下では、その代表的テキストと論集を整理する。なお、ローンに関するものは別途設置する(関連記事)。またこの記事では書籍を取り上げ論文などは後続の記事で取り上げる(この記事は、かつての公式サイト「寺沢重法のサイト」で公開していた資料の一部に基づいており、記事作成にあたっては大幅に加筆修正している。また寺沢(2020)を補足する内容である)。 

金融市場の社会学
 

  Donald MacKenzie氏の論集の日本語訳。日本語で読むことのできる金融社会学の論集としてはおそらくこれが実質的に唯一だろう。多くはMacKenzie氏の既刊論文(一部共著)がベースとなっており、その論文自体が金融社会学の重要論文として知られている。したがって、本書を通読することで金融社会学の核となる部分を知ることができよう。目次で内容を確認してみる。

第1章 序論
第2章 金融社会論への10の指針
第3章 経済的アクターの結集
第4章 デリバティブ─仮想の生成
第5章 裁定取引の物的社会学
第6章 利益の測定
第7章 排出量市場の構成
第8章 結論─ファイナンスブラックボックスを開ける

 第1章と第2章が理論とレビューである。個別の研究内容は、ヘッジファンドのトレーディングルームのフィールドワーク(第3章)、シカゴ・マーカンタイル取引所を中心とするデリバティブ市場の歴史社会学(第4章)、アービトラージ取引(第5章)、会計規則・基準・測定(第6章)、二酸化炭素をめぐる市場(第7章)である。巻末の参考文献リストは網羅的である。

  Karin Knorr Cetina氏とAlex Preda氏による金融社会学のハンドブック。オックスフォードハンドブックシリーズの中の1冊である。序章を含めると全30章、全6章構成の大作である。第1章ではSaskia Sassen氏がグローバル化と金融市場の変動を論じている。

 各部ごとに私の関心から内容をピックアップしてみる。第1部「Financial Institutions and Governance」(金融機関と統治)では、機関投資家(第3章)、第2部「Financial Markets in Action」(金融市場と行動)ではトレーダー(第9章)、第3部「Information. Knowledge, and Financial Risks」(情報、知識、金融リスク)では、アナリスト(第13章)、財務諸表(第15章)、第4部「Crises in Finance」(金融危機)ではモーゲージ(第17章、第18章)である。これらではアメリカを中心とする金融市場が対象となり、アクターや産業、金融危機などが論じられている。

 第5部「Varieties of Finance」(金融の多様性)は欧米以外の地域の金融を扱っている。たとえば、イスラムの金融(第22章)と中国の金融(第23章)である。

 第6部「The Historical Sociology of Finance」(金融の歴史社会学的研究)は上記の金融市場のあり方そのものの発生基盤を問い直す内容となっている。たとえば、ジェンダーと金融(第26章)では、金融におけるジェンダー役割などが論じられている。

  なお、本書の序章はフリーアクセス可能である。

www.oxfordhandbooks.com

  この序章に目を通すだけでも、金融社会学においてどのような議論がなされてきたのかを一望することができよう。 

The Sociology of Financial Markets (English Edition)
 

  こちらは『The Oxford Handbook of the Sociology of Finance』の編著者らによる論集であり前編という性格もっている。序章を含めて全3部、全15章構成である。私が興味深く思うのは、「The Age of the Investor」(投資家の時代)と題された第2部である。特に機関投資家に光を当てて、金融市場において投資家にいかなる文化的存在となっており、また投資家がどのような価値観をもっているのかを論じている。様々な投資信託や投資書籍に馴染みのある人にとっては、ここ箇所が最も身近に感じるかもしれない。

 以上は、金融全般を包括的に取り上げたものである。個別領域に関するものとして、たとえば、会計社会学に関する以下のテキストがある。 

会計社会学

会計社会学

  • 作者:堀口真司
  • 発売日: 2018/10/13
  • メディア: 単行本
 

 目次は以下のようになっている。

プロローグ
第1章 会計の科学化とその諸問題
第2章 科学的会計研究批判
第3章 計算可能な人間と空間
第4章 会計規制のトリレンマ
第5章 「法と科学」と会計の社会学
第6章 人類学における会計専門知識の影響
第7章 語りえぬモノ

 会計制度や会計基準に関する議論がなされている。第6章は人類学と会計の関連を論じたものとして特に興味深い。

関連記事

 参考文献

  • 今井順(2021)『雇用関係と社会的不平等─産業的シティズンシップ形成・展開としての構造変動』有斐閣
  • 寺沢重法(2020)「文献紹介『With a Little Help from My Friends(and My Financial Planner)』Mariko Lin Chang 」『理論と方法』35(1):159。
  • 上林千恵子(2012)『よくわかる産業社会学ミネルヴァ書房