イスラム教とたばこ会社の攻防(Petticrew et al. 2015)

更新2021年5月30日

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  • Petticrew M, Lee K, Ali H, Nakkash R. "Fighting a hurricane": tobacco industry efforts to counter the perceived threat of Islam. Am J Public Health. 2015 Jun;105(6):1086-93. doi: 10.2105/AJPH.2014.302494. Epub 2015 Apr 16. PMID: 25880961; PMCID: PMC4431096.

  イスラム諸国における反たばこに対して、たばこ会社がいかなるマーケティング戦略をとったのかを分析した論文である。

 たばこの健康影響が広く指摘されるようになって以降、イスラム教の宗教的指導者がファトワとしてたばこを批判するようになってきている。一方、たばこ会社側にとって、中東、アフリカ、南アジアなどはたばこ事業の有力な新規開拓地域であり、これらの地域はムスリム人口が多いという点においてもイスラム教の影響が強い地域である。そのため、イスラム教のたばこに対する見解とたばこ会社のマーケティング戦略が衝突することになる。本論文はイスラム教の反たばこに対して、たばこ会社がとった戦略を、特にイスラム教の思想の部分に焦点を当てて論じている。

 分析に使用されるのはたばこ会社の内部文書などである。この文書はLegacy Tobacco Documents Library(Truth Tobacco Industry Documents)という、たばこ会社の各種資料を収録したデジタルアーカイブスにある。

 キーワード検索をすることで関連する資料を探すことができる。学術研究で使用されることがたびたびあり、たとえば、アメリカにおけるたばこ論争を取り上げた岡本(2016)においてもこのアーカイブスが使用されている。本論文では2012年からの約2年間分について、イスラム教に関連する複数の単語で検索を行っている。

 結果では、まずイスラム教側のスタンスに対して、たばこ会社内においてどのような認識がなされたかが紹介され、次いでイスラム教の教義に関する議論に入る。「Framing Tobacco Control as Extremism」では、たばこ会社側のフレーミングが論じられているが、重要なフレーミングの一つはイスラム教における反たばこを過激派、急進派といった枠組みで捉えるというものである。「Monitoring and Influencing Islamic Scholars and Leaders」では、たばこ会社に近いスタンスのイスラム神学者や宗教的指導者が取り上げられている。たばこをめぐってコーランがどのように解釈されたのかも論じられる。「Adapting Products and Marketing」では、イスラム教における嗜好品に適した形でのたばこの開発と販売が紹介されている。

 以上のような分析結果は、必ずしもイスラム教以外の反たばこに対するマーケティング戦略についても見られるものだが、神学的議論がなされているという点が特徴的であり、かつ先行研究でも十分に取り上げられてこなかったという。

 論文の最後では、イスラム諸国における禁煙に関する政策的示唆がなされる。やはり信仰に基づいた禁煙推進に議論が進み、イスラム教の宗教的指導者への期待、さらには禁煙における宗教間協力の重要性なども指摘されている。このような形での宗教に対する期待はHussain et al.(2019)とも共通するように感じた。

感想

  まず、単純に新鮮な議論だと思った。たばこ会社のマーケティング戦略に関する分析はこれまでにもなされているが、私見の範囲において、科学技術、特に健康科学的議論に着目したものが目立つ印象がある(この点は本論文でも指摘されている)。それに対して、本論文はいわば「文化対立」を明らかにしており、たばこ論争を宗教意識や価値観として見ていく必要性を感じた。イスラム教の影響が強い地域が新たな市場となりつつある昨今のたばこ産業の状況を考えると、こうした文化的側面はより重要に思われる。

 気になったのは、このような攻防がたばこ会社特有のものなのかという点である。取り上げられている地域は、たばこ会社以外の様々なグローバル企業が進出している地域でもあろう。 そのような産業に対してイスラム教がどのような反対をし、それに対して企業側がどういう戦略を打ち出してきたのか。他の産業と比較しながらたばこ会社の特徴を見ていくことも興味深いだろう。

 参考文献