『植民地期台湾における青年団と地域の変容』(宮崎2008)

更新2021年7月3日  

   日本統治時代台湾における青年団を対象とした歴史人類学的研究である。書評に陳(2009)、何(2009)、牧(2009)、大串(2008)がある。

 当時の歴史資料の分析に加えて、当時青年団員だった人々へのライフヒストリーインタビューなど行い、青年団組織がどのように変容したのか、青年団メンバーの心理的変化はどのようなものだったのかを丹念に探っている。

 最も興味深く感じられたのは、本書を通じて、青年団の変化を当時の台湾社会の階層構造の変容との関連で読み解くという視点が盛り込まれていることである。青年団の変容と階層構造の変容のプロセスに関して、私なりに見えてきたのは次のような姿である。
 植民地期台湾における青年団は、もともとはどちらかといえば富裕層や地主層出身者向けに作られた組織だった(第2章~第3章)。だが、戦時色が濃くなる日本統治時代後期になると、その対象が、富裕層や地主層の視点のみならず、小作や労働者のなどのより幅広い層に幅広い層に拡大された組織に変容していく(第4章、第5章、第6章)。当時の青年団というものは、それに所属することを通じて、立身出世などの階層の上層移動が可能となる媒体としても機能しており、小作層や労働者層の出身者は、自らの階層の上層移動を目指して青年団に所属をする。
 敗戦間近の志願兵制度開始時期に移行すると、青年団が軍人を供給する重要な媒介組織として機能するようになり、青年団を通じて従軍に至るというプロセスが確立されていく。当時の台湾の青少年も、軍役を通じて階層の上昇移動を目指す傾向が高まったことから、青年団に所属することで軍役に就く形で階層の上層移動を目指すようになる。
 そして青年団で行われる教育プログラムは、精神修養、日本的価値観の習得、褌を締めての体操など、より良き日本人になるための内容、いわば「大和魂」を身に着けるような内容が中心になる。青年団のメンバーにおいても、青年団における修養教育を受けることで「日本人」になることが企図されていた可能性も推察される(第5章、第6章)。
 最も強い印象に残ったのは、入団試験の内容の変更に関するエピソードである(第6章)。すなわち、大戦末期の入団試験では、いわゆる学科試験がなくされ、面接や推薦などを重視した、昨今で言うところの「人物重視」の試験に変化していったとのことである。青年団への入団には、実直な人や好青年、誠実な人などが求められるようになったとのことである。学科技能や学業成績において秀でているということよりも、誠実で真面目な青少年であるということの方が、献身的な活動に対して適性が高いという判断があったと推察することも可能かもしれない。
参考文献
・陳虹彣(2009)「書評 宮崎聖子著『植民地期台湾における青年団と地域の変容』 」『アジア教育史研究』18:79-81。
・何義麟(2009)「宮崎聖子著『植民地期台湾における青年団と地域の変容』 (書評特集) 」『現代台湾研究』36:64-67。
・牧野篤(2009)「書評 宮崎聖子著『植民地期台湾における青年団と地域の変容』」『日本の教育史学』52:192-195。
※※この記事は、北海道大学付属図書館主催企画「本は脳を育てる」に寄稿した紹介文を大幅に加筆修正して再掲したものです。