「JGSS-2005にみる日本の心理主義」(保田2006)

更新2021年5月31日

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  • 保田直美(2006)「JGSS-2005にみる日本の心理主義-心理学知識と心理還元主義の擬似相関」『研究論文集[6]JGSSで見た日本人の意識と行動』119-130。JGSSのサイトにあり

  心理学化心理主義化、心理還元主義という現象が、社会学およびその関連領域でしばしば指摘される。一口に心理学化心理主義化といってもその概念は多様なのだが、社会問題や個人の抱える困難の発生理由を、その人の心のあり方や考え方、気持ちの問題に帰属させて説明し、気持ちや心のあり方を変えることが肝要であると捉える風潮のことをイメージするとよいだろう。このような風潮に対しては、個人の心のあり方の問題に還元することで、組織や集団、社会制度などの環境的要因が見過ごされやすくなってしまう、いたずらに個人を責めるようなムードを作ってしまうといった批判がしばしばなされる。

 たとえば介護や育児にかかわる傷害事件が発生した場合に、加害者の意識や規範、倫理観、メンタル面での強さ/弱さなどが原因であるというコメントや論評がなされることがある。そしてこのような事件を防ぐためには、介護や育児を行う人々の心のケアや精神的なサポートこそが重要であるといった解決策が述べられる。コメントを求められるのも、カウンセラーや精神科医などの心の専門家と言われる人々である場合が少なくない。心理主義化に批判的な立場からすれば、このような捉え方の風潮は、介護や育児に関する構造的な問題、たとえば福祉財政、家事分担を困難ならしめるような雇用制度などの仕組みの問題から目をそらさせてしまうという批判がなされる。
 この論文は、心理学の知識がある人は本当に心理還元主義的なものの見方をするのだろうか、という問題をJGSSというデータを用いて検証したものである。心理主義的な捉え方の指標としては、青少年の凶悪犯罪の原因は、どの程度加害者青少年の心理状態に関連しているのかを問うた設問である(121頁)。
 分析を行った結果、この論文では、心理学の知識があることと心理還元主義的なものの見方は見せかけの関連であることを示している。そして両者の間にある真の要因は学歴(この論文では、高等教育修了か否か)であることが指摘される(126-127頁)。このような結果の解釈の1つとして、「学歴が高い人々は、高等教育で心理学の知識を得た結果として心理還元主義になっているのではなく、高学歴にともなう何らかの別の理由によって心理還元主義になっていることがわかる。」(126頁)というように、高等教育に心理還元主義的なものの見方を形成する機能があるのではなかという見解が述べられている。興味深い解釈だと感じる。
 この論文を読むと、さらに次のようなことに興味が湧いてくる。まず、心理学の知識の程度というよりも、高等教育に心理還元主義的なものの見方を形成する機能があるという解釈を踏まえならば、心理学以外の知識の程度は心理還元主義的なものの見方にどのように関連しているのだろうか。たとえば、社会学では心理還元主義的なものの見方が批判され、社会構造要因に目を向けることの重要性が主張される傾向にある。社会学のテキストや授業においても、社会構造に着目して社会問題を考えることの大切さが頻繁に指摘される。そうであるならば、社会学やその関連領域の知識があるということは、その人が心理還元主義的にならないことに対してどの程度寄与しているのだろうか。仮に心理学以外の分野の知識も心理還元主義的なものの見方の程度に実質的に関連していないのだとすれば、この論文の著者が指摘する高等教育の影響力というものがより明確にあると考えらえる。
 次に、この点とも関連するが、心理学の知識があるということによって、逆に心理還元主義的なものの見方を取らなくなるという可能性もあるのではないかと気になるところである。私見の限り、一口に心理学の知識と言っても、その多くが心理還元主義的であるというわけではない。心理過程に関する議論は複雑である。個人の自由意思といったもの無意識性を強く主張する研究もある。逆に、社会構造要因に重点を置く知識の方が、心理学的知識をあまり重視しないが故に、心理過程に対して「より素朴」な見方をしていると感じられる場合もある。心理学的な知識の領域と程度が相当に関わると推察されるが、興味が抱かれるところである。
 最後に、心理還元主義的なものの見方に問題があるとするならば、この論文は高等教育や識者、専門家というもののあり方問題を浮き彫りにしているとも感じられる。先に私が取り上げた介護や育児に関する傷害事件の例で言えば、事件に対して影響力のあるコメントを述べるのはいわゆる識者である。その識者の多くは高等教育を経た人々であり、高等教育に心理還元主義的なものの見方の規制機能があるという解釈を踏まえるならば、事件に対する識者の捉え方そのものが、(その専門に関わらず)そもそも心理還元主義的である可能性も考えられる。また心理還元主義に対する批判の1つに、「必要以上に個人を責めることになる」というものがあることを思い起こすならば、人々が抱える様々な問題に対して識者、専門家の見解が頼みにされるという構造・世論自体に、個人を責めるような力関係が内包されてしまっていると見ることも不可能ではない。
 いずれにせよ示唆に富む論文である。