現代台湾の文化ナショナリズム(Hsiau 2000)

更新2021年5月30日 

 台湾ナショナリズムの歴史的変遷について、特に作家や政治家、歴史学者言語学者による著作の言説を分析対象として詳細に検討した書籍である。
 台湾に関わり始めた6年ほど前に読んだ書籍であり、以下のこの記事のは、その時に少し書いた感想を内容をあまり変えずにアレンジしたものである。
 言説の内容を詳細に検討した歴史社会学的研究であり、全体の知見を一言でまとめるのは少々難しい。私が特に興味深かった箇所を挙げると、それは第6章の「Crafting a national history」であるといえる。内容を紹介しつつ感想をメモしてみる。
 台湾文化ナショナリズムは、1970年以降の民主化運動や本土化の流れの中で発生してきた現象である。それが、1990年代頃になると、多層的な歴史・言語・エスニシティを内包している文化や社会であること「台湾らしさ」「台湾独特の文化」であるというような流れになっていたようである。中華には還元されえない台湾固有の文化を探りこれを重んじようという意識によって、台湾各地の郷土史や言語、各族(エスニシティー)の権利獲得などへの指向性も生じているという。
 歴史については、清朝・日本・国民党によって支配されてきた被抑圧者としての歴史が台湾固有の歴史であるとされる。特に二二八事件の真相解明ということに関心が向けられているが、見落とされてきた台湾の歴史に光を当て、台湾の多用な歴史文化を掘り起こそうと、台湾各地の郷土史の研究が一つのブームになった。
 こうした歴史研究においては、民衆からの視点を重視しようというということで、文献研究に加えて口述史研究やライフヒストリー研究の重要性が指摘されているという。
 私自身は、ナショナリズムも文化ナショナリズムも詳しくはないのだが、以下のような印象を受けた。
 まず「台湾ナショナリズム」には、確かに「ナショナリズム」という言葉が含まれており、台湾固有の文化への指向性をもってはいる。しかし、それは日本でイメージされるような「ナショナリズム」、もう少し広く言えば「伝統主義」「保守的価値観」などとは、少々違う価値観が含まれているように感じる。特に、台湾の多文化性、多言語性を尊重するというあたりがそうである。
 台湾の地域語を見直し、その権利を確立するという動きは、日本における方言の見直しが似ているようである。アイヌ語や沖縄語を含む様々な地方語・方言によるラジオ・テレビ放送を行ったり、それらの言語を話す高齢者の聴き語りの本を出版したり、言語講座を行ったりといった動きがこれと似ていなくもないように感じられる。
 このようなことに思いをめぐらせてみると、日本では「リベラルな価値観」として認識されるような文化・価値観が、台湾文化ナショナリズムの中には多分に含まれているように感じられるのである。あるいは、日本でリベラル派と呼ばれるような人たちの中には、台湾であれば「台湾文化ナショナリスト」にカテゴライズされるような人たちが少なからず存在するのではないか、と言い換えても良いのかもしれない(日本における「ナショナリズム」「文化ナショナリズム」はどちらかといえば、台湾でいう「中華ナショナリズム」に近い気がする)。もう少し広く見れば、台湾文化ナショナリズムの中には「新しい社会運動」「「緑の党」的なもの」が含まれているようにも感じられる。
 台湾文化ナショナリズムは、族群問題と合わせて、非常に興味深い現象に思えた。社会意識研究としても面白そうである