「厳罰化を求めるものは何か」(松原2009)

更新2021年4月16日

ci.nii.ac.jp

  • 松原英世(2009)「厳罰化を求めるものは何か─厳罰化を規定する社会意識について」『法社会学』71:142-157。
 一体どのような人々が厳罰化を支持し、それは犯罪件数といった状況認識に基づいているのか、むしろ価値観といったいわば主観的な部分に基づくものなのか。本論文は厳罰化という風潮に対して個人レベルから計量的に接近したものである。
 刊行時は少年法裁判員制度が注目を浴びていた頃であり、現在とはいささか社会状況は異なるとはいえ、むしろ厳罰化を支持する意識構造を取り上げたことの意義は高まっているとも思われる。運転事故を代表とする様々な厳罰化が行われ、社会的事件のたびに、いかにペナルティを強化するか、抑止力を高めるかといった言説が聞こえてくるからである。
 本論文では、「厳罰化支持」を従属変数に対して、犯罪に対する不安感、モラル低下への嘆き、そして権威主義などの価値観に関する独立変数がどう関連しているのかをパス解析で分析する(pp.145-151)。
 分析結果の主要なものとして、犯罪発生などに対する事実的な認識よりも、社会や人間に対する見方がより重要な規定要因になっているという。特に「社会観」の影響力が指摘されている(p,152)。そしてモラルに関する認識などとの関連も検討され、社会意識のあり方にも議論が及ぶ。
 このような分析結果は、個々人のレベルにおいて厳罰化を支持するのは、状況認識というよりも、むしろより主観的な価値判断による、と言い換えることもできよう。厳罰化を支持するということ自体が優れて価値観的であるとも表現できようか。
 特に興味深く感じたのは、「社会観」の一つとして、いわゆる善悪二元論的な価値観と厳罰主義との関連が例示されている点である(p.152)。善悪二元論とは何かということ自体も複雑な議論の対象だが、さしずめ「一発アウト」「一つでもNG」「一切認めない」「良いものは良い悪いものは悪い」といった言葉で表現される意識と理解しておこう。私の実感レベルにおいては、厳罰化を支持する声においてこうした善悪二元論的な言説が印象的に感じられる。
 もっとも、善悪二元論に関する設問は「教条主義項目群」に含まれ、「教条主義項目群」は「権威主義項目群」とまとめた「社会観」に一尺度化されて分析される(p.148)。善悪二元論も含む「教条主義項目群」との厳罰志向との個別具体的についてはもう少し詳しく知ってみたいように思う(「教条主義項目群」には他にも真理は一つであると思うかどうかといった興味深い項目も含まれている(p.148))。
 あおり運転や飲酒運転の厳罰化を支持する心理、犯罪かどうかの境界線が曖昧な言動を犯罪であることが前提であるかのように批判する心理、さらには非道徳的行為を強く批判するような懲罰的言説を支持する価値観は一体何なのか。いわば厳罰主義的社会ともいうべき状況を考える上で、興味の尽きない論考である。